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尾州産地

尾州とは旧国名・尾張国の別称で、木曽川流域の愛知県尾張西部地域から岐阜県西濃地域のこと。
木曽川は信州木曽に源を発し峡谷を造りながら濃尾平野に広がり、やがて伊勢湾に注ぐ延長229kmの河川です。豊かな流れは流域に恩恵をもたらし、温暖な気候とあいまって様々な文化が育まれていきました。
尾州で古くから繊維産業が盛んになったのも、その1つでしょう。
世界三大毛織物産地イギリスのハダースフィールドにはホルム川とコルネ川、イタリアのビエラにはコルボ川とチェルヴォ川、そして日本の尾州には木曽川が流れているのです。
尾州
連携の妙が織りなす多彩な表現力

連携の妙が織りなす多彩な表現力

尾州で生まれた尾州生地の特徴は、一つには糸から生地になるまでの多くの工程をこの地域の中で分業・協業によって一貫してできることにあります。 紡績、撚糸、染色、製織、編立、整理加工といったそれぞれの工程で専門的かつ高度に蓄積された知識と技術を長年にわたって継承してきました。 尾州全体が一つの大きな工房・工場といえるでしょう。 国内のみならず海外でも高く評価される品質、また多種多様な素材の組み合わせや技法によってバリエーション豊かな表情のテキスタイルを実現しています。

ものづくりの歴史の核は
クラフトマンシップ

尾州で生地作りの痕跡がみられるのは弥生時代のこと。
人間の文化の源には欠かせないものだったことがうかがえます。室町時代になると、尾張細美と呼ばれる極めて細く紡いで織られた麻布が生産されていました。絹織物は奈良時代には既にあり、綿織物は江戸時代になって盛んに生産されました。明治時代以降も絹・綿織物を生産していましたが、明治5年に洋糸を正藍で染めて売出し、明治10年代中期頃には一世を風靡したといいます。その頃の研究熱の高まりは著しいものがあり、近代の尾州発展の礎となりました。 しかし明治24年に起こった濃尾大震災で甚大な被害を受け復旧には相応の費用と時間を要しました。そんな折、安価なインド綿花の輸入が始まり、大企業による大量生産によって尾州繊維業界は危機に陥ります。そこで着目されたのが羊毛工業でした。
先人のベンチャー精神による試行錯誤を繰り返しながら生み出したテキスタイルは、世界に誇る高級毛織物として成長していったのです。 高品質・多彩性は、幾多の困難を生き抜いてきた尾州の生産に従事する1人1人のクラフトマンシップが息づいているからなのです。
ものづくりの歴史の核はクラフトマンシップ
培った伝統の技術と革新が新たなステージを創る

培った伝統の技術と革新が新たなステージを創る

紡績、撚糸、染色、製織、編立、整理加工という多様な工程で生産される尾州のテキスタイル。それぞれに蓄積された技術と知識、たゆまぬ研究が多彩な製品となって生み出されています。現在ではウールのみならず、綿、化合織や複合素材などによる織物や編物、また用途も服地をはじめとしてインテリア、産業用資材など私たちの生活全般に関わっています。麻、絹、綿、ウールと素材の変遷は、培ってきた技術と知識と共に柔軟な発想志向をも根付かせてきたのです。テキスタイルは素材でありながらひとつの「もの」として多くの可能性を秘めています。ファッションブランドやアパレル業界、インテリア業界に加え個人の需要など全方位的な視点が求められています。
昨今ではションヘル織機による昔ながらのアナログなものづくりやITを駆使した織物や編物、染色など方向性も様々。細分化し多様を究める世の中のニーズにどう応え新たな価値を生み出していくか、尾州の真価が問われているのです。

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